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「ククルス・ドアンの島」を見た。

「ククルス・ドアンの島」 公式サイト
https://g-doan.net/

ひさびさに映画館に行った。22時から始まって24時に終わる映画、って、いい時代になったなあ。
そして大人って便利でいいなあ。(子供か。でも、いまだに思ってしまう)

ネタバレとかそういう言葉にはいっさい興味なく、「ネタバレって言葉で騒いでいいのは、犯人が誰かなのかが重要なファクターであるミステリーだけだ」「結末を含め、語りたいことを語って何が悪い」と思ってる人間なので、そういうことを気にする人は読まなくていいです。

つーか初代ガンダムなんて43年前の作品だし「ククルス・ドアンの島」なんて全員が小学生の時から何度も見てるんだから問題ないだろ。(主語が大きい)

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前提:今回のガンダムは、いくつかテレビ版と時間軸の設定が違う様子。

・本来ジャブローで合流するスレッガーさんがもうホワイトベースにいる
・リュウさんはもういない(つまりランバ・ラル隊とも戦闘があった後?)
・(映画版に準拠して)ガンタンクは出てこなくて、ガンキャノンが2機出てくる
・Gファイターは出てこなくて、コアブースターが出てくるけど、でもマチルダさん戦死よりは前?
  (つまりドムもまだ出てきていない世界)
・ また、ジャブローよりも前の様子
・ジャブローより前だけどもうジムは当然のように配備されてる

そういう観点から、「ジオンのモビルスーツは今のところザクが最強」の状況設定となっている感じ。

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よかったところ

■今の画質で動くガンダムが見られたのはすごい
これはほんとにいい。3Dモデリングで、完璧な形のガンダムやザクが超高速で戦闘シーンを繰り広げてくれる。
ガンダムの出番がちょっと少ないけどね。大きさの描写もよくて、ちゃんと「モビルスーツが巨大で重くて危険なもの」感は出ていた。あと、漫画のオリジンで要所要所に描かれる「連邦の白い悪魔」としてのガンダムのまがまがしさも出てた。(かつて、パトレイバーの廃棄物13号のアニメが、その重さ描写がなくて、迫力なかったんだよね…(例えが古い))

■安彦良和のファンなので、安彦良和の新作が見られるのはすごい
安彦良和の漫画はほとんど持っているので、これからも揃えていく方向で考えている。一番好きなのは「巨神ゴーグ」だけど。
(LDと国内盤DVDと海外版DVDを持ってる。 USのプライムビデオだと、もうずっと見放題みたいだけど…。)

amazon.com「Giant Gorg」
https://www.amazon.com/dp/B07Q26MRZ7/

■序盤にビームライフルがなくなる描写はよかった
「サーベルやヒートホークで戦わざるを得なくなる」のはバランスが取れてていい。

■コアブースターが出てる! コアブースター! (もっと活躍させてもよかったのでは)
GファイターならHGでプラモデルが出てるのに、なぜかいまだに出ていないコアブースター。HGUCで色分けプラモ出してください。新しいデザインと旧デザイン、どっちにも作れるモデルで。プレバンだけでの販売でもいい。2つは必ず買うので!
もうちょっとサザンクロス隊以外のザクやドップとかマゼラトップとか出して、ちゃんと活躍させてあげてほしかった。
つーかスレッガーもコアブースターで出撃、でまったく問題なかったよね。。

■ガンキャノン2機の映画仕様なのはよかった。
兵器ってやっぱある程度機数あったほうがリアルだよな…。ガンタンクも、オリジンでも「ガンタンク初期型」が出てたけど、あれくらいの形状じゃないと不自然だし、映画版に準拠したのは正解。

■ホワイトベースがかっこいい
「ガンダムさん」で「こんなのが空飛ぶわけないじゃん」「いけません大佐…」みたいな会話あった気がするけど、ちゃんと形状があちこち変わってて(特に両サイドのメガ粒子砲がある盾みたいなところの形状とか)、「これならなんとか飛ぶのでは」感は出てた。(個人の感想です)

■サントラが、テレビ版のサントラ使ってるw
はじめは「えっ」ってなったけど、あくまで「テレビ版の翻案リメイクですよ」って意味で良くて、ちゃんとマッチしていた。
過去のテレビ版は、悲しい戦闘のシーンなのにやけに勇ましかったり、シャアがダメージ受ける箇所(ゲルググが片腕を失うところ)で「 シャア! シャア! シャア!」とか流れて、「おい、それ合ってないだろ」ということがあちこちにあったが…。

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ここからは、気になったところ。

■ほのぼのシーンの描写の「甘さ」が「一年戦争やってる」感をそいでいるかも?
死者の出ない「特車二課」ならまだいいけど、どうなんだろう。島の子どもたちの描写にしても、フラウのキャラ設定にしても…。ちょっと「傍若無人」感は出ちゃってるかも。

■「子どもたちが難民になる原因を作ったのは自分だ」と告白するシーンがなかった?
かつてドアンがサザンクロス隊にいた時に、親が死亡した子供を見るシーンがあったが、セリフなどではいっさい説明がないので、テレビ版をみてない世代や客層には「え?」あるいは「それは説明してくれ」と思えるかも。
あと、この子供たちがこんな住みにくい島に住んでる理由がない…。どうしてこの島にこんなに子どもたちがいるのか、自然に描くなら、この島に一定の大きさの「激戦で廃墟になった村か町があって、子どもたちはそこ出身」である必要がある気がする。
あるいは、ほかの街の子供をここに連れて来たのなら、それはそれで問題だし、むしろ子どもたちが「街にもどりたい」と言い出すだろうし。

■子どもたちに「ありがとうククルス・ドアン」と言わせるのはおかしいのでは。
上の話にも通じるけど、子どもたちが難民になる原因作ったのドアンだよね…!?
小さい辺鄙な島の設定なので、そういう意味でも、「子供たちが多すぎる」気はした。
アムロに似た少年の存在は要所要所のストーリー上とても重要で、すごくよかった。

■ホワイトベース隊のメンバーをもっと活躍させてもよかったのでは。
せめてサザンクロス隊の一機くらいはチームワークで倒してほしかった。
サザンクロス隊が強くて、その上さらにドアンが相対的に強いことを表現したいんだろうけど、コアブースターが不時着する前にスレッガーさんもちゃんと着水するなどして、なんらかの出番を用意したほうがよかったと思う。ブースター部分は被弾しても、セイラさんもコアファイターだけで離脱して飛行続けられるだろうし。これは明らかに不満。

これ、前述の「ほのぼのシーンの成分」の問題にも通じるんだけど、基本的には「戦争をやってる人たち」なわけで、これだと(知らない人には)ただのダメ軍隊になってしまう。

■サザンクロス隊のメンバー一人の扱い
基地の中で倒されるあのメンバーは、足で踏むんじゃなくて「高機動ザクに乗るのを待ってあげて一騎打ちで一気に倒す」のでもよかったのでは。
で相手が卑怯な手を使ってきたり(あの少年を人質にしてもいい)すると、「倒していい悪い相手」としての描写になるのでなおよし。
これも、「ほのぼの成分」との兼ね合いですごく食い合わせが悪くて、「どうなんだそれは」感。

■別に灯台のせいで見つかったわけではないので、「余計なことを…」はいらなかったのでは。
逆に、子どもたちの前でドアンが「灯台を消すんだ!」とか言うことで、状況がわかってよかったかも。

真ん中へんの描写で「ドアンがザクに乗ってる」ことは子どもたちも知ってる描写がある(遠くでドアンが戦ってる音を聞きながら子どもたちが寝るところ)んだよね。なので、そういう意味でも、「ドアンが真剣な時は、子供たちは察して邪魔をしないようにしないといけない」ってことは全員がわかってる感じを出してほしかった。そういった意味でも子供たちの描写が雑and緊張感がないんだよね…。

■涙の描写が過剰。
これは完全にだめ。オリジンでも似た描写あったけどね。安彦良和以外のスタッフによるものだと思いたいw

■フラウや子どもたちの描写が雑。もっと大人っぽく書くくらいでいいのでは。
フラウも、一応曹長ぐらいの立場だったと思うし(それはジャブローからか?)、まわりが戦闘して死者が出たりしてるんだろうから、「アムロ一人のためだけにこんな騒ぐのは申し訳ない」感くらいは出してほしかった。
エリア88でも風間真とかがそんなに特別扱いされないみたいに。(例えが古くて悪いが(でもこれ見てるような人は絶対もうこの世代だからいいよな))

■メンテナンスドックで、「何台ものザクやジムから部品を取ってカスタマイズしてました」的な描写はあってもよかったかも。
海に沈んでるザクやジムの描写があるのはいいけど、「倒したモビルスーツから部品を取ってて、改造もしてるから性能が高く、動きも早かった」とかの「無言の設定描写」が欲しかったなー。で、いらないジムの装甲部分などが海に沈んでる、とかね。。

■ホワイトベース隊のメンバーが、「なぜザクとザクが…!?」と驚くシーンがあってもいい気がする。
前述の「サザンクロス隊とホワイトベース隊がもっと互角に戦う」シーンが欲しかったのと同様、半壊したジムやガンキャノンが、お互いを支え合いながら、「あのザク…味方じゃないようだけど…なぜだ!?」とか描写しないと、「どうしてすんなり状況を受け入れてるんだよw」感がすごい。(ガンキャノンの倒され方も過剰だったと思う。これだと43話の「脱出」をもし映像化したときの、「うわ歴戦のキャノンも片足ないじゃん!」の切迫感が薄れるんだよね。)

あるいはクレーターの横で、「さっき出会ったばかりだけど、アムロのことをなぜか知っている子どもたちに教わって」もいいかも。
それに近いところで、サザンクロス隊の女性メンバーも、ドアンにあっさり倒されるのだとあまりに「設定の割には雑すぎる展開」なので、「かつての隊長であったドアンと戦うのを躊躇しているところを、ホワイトベース隊の誰かに倒される。あるいは、サザンクロス隊の残忍な現隊長に倒される」とかでもよかったのではと思う。(これなら、現隊長が、ストーリー上一番倒すべき相手、としても演出できるし)

■最後、ガンダムが登場するシーンはかっこいいけど、サザンクロス隊が2機残って、「高機動ザク2機 VSドアンザク+ガンダム」みたいなシーンがあってもいい気がする。

ガンダムの出番が少し少なすぎるのは否めない…。
まあ、こういう展開の「主役登場!」感、歌舞伎の「暫」とか、ソリッド・スネークの「待たせたな」感は嫌いじゃないけど、
ドラグナーの最終話でD-1とファルゲンが共闘してギルガザムネを倒すみたいに(例によって古い)、一瞬でもいいからドアンザクと共闘するシーン(でホワイトベース隊のメンバーが戸惑ったり、島の子供たちがアムロとドアンに喝采する)とか、見たかった気もする。
そういう意味でもサザンクロス隊の隊長はザクじゃなくてグフとかイフリートみたいなのであってほしかったけど、でもそれだと、ストーリー展開的に「このあとランバ・ラルが出てきて初めてグフと戦闘し、ザクとの違いに驚く」設定に矛盾が出てくるので、まあ無理か…。
(あれ、この映画は、時間軸の順番を入れ替えてて、もうランバ・ラルは戦死してて(=リュウさんももういなくて)、これからベルファストでズゴックが出てくるんだから、グフでも問題ないような気もする…)

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まとめとして。

まあ思い入れがハンパないものであるだけに、書きたいこともすごく多かったけど、見てよかった、とは思う。
終盤でホワイトベースはベルファストに向かうわけだけど、つまりこの後カイが脱走? 半分除隊? しかけて「大西洋、血に染めて」のシリアスな回に続くんだよね…。

できれば、オリジン版ガンダムすべてを現在のこの技術でアニメーション化してほしいところだけど、あちこちの「やらなくていい現行アニメのノリへの媚び」はいらないから、コミック版を忠実に映像化してほしいものだなあ…と思う。
安彦良和の年齢もあるだろうけど、安彦良和のニュアンスを失わずに映像化をするクリエイターがいればなあ、と思う。

「FURY」を見た。

個人的にクエンティン・タランティーノとかを蔑んでいる人間なので、「ナチスドイツを悪者にしてそれで済ませている映画」ではない、というところがリアルで良いとは思う。米軍がひどいことしまくり、っていう描写が多々ある。
まあブラッド・ピットの演じてるひどい上官がわりと如実に象徴的な存在にはなっている。

まあ第2次大戦はそういう戦闘が多かったよね、ってことでもあるかな。

ただ、「アメリカン・スナイパー」を見た後だと、すごく雑に感じる。
まあ描かれている時代が1940年代なので、当然といえば当然だが…。

「戦争のはらわた」とかのほうがおすすめできるかな? (邦題がひどすぎるけど)

曳光弾とかのビジュアルはかっこいいけど…。土に当たった弾丸が跳弾になるかな? とか、けっこう疑問。動くtigerIは出てきたけど、こういう時コマンダー(車長)は中に入らなかったのかな?

あ、あと、戦車戦ってこういうものだ、っていう描写はすごく重要。
戦車ものの学園アニメとかほんと論外なので。(あとWoTで勝率が50パー切ってるやつも論外)

「主要キャラクターだけはなぜか銃撃戦でなかなか撃たれない」「撃たれまくった人がよく喋る」「死体が原型をとどめすぎ」問題がここにもある…。
最後のドラマチックさは、ストーリーとしてはアリだけど、リアル(=現実的)かどうかは、うーん。

「アメリカン・スナイパー」とはかなり温度もニュアンスも違うけれど、「不毛さ」を如実に描いている映画だと思う。
ただこれを誤解してしまう人もけっこういるだろうなあ。タイトルの「FURY」の向ける先は「戦争」に対してすべきなわけで、この映画もそういう意図で作られたとは思うが、それこそクエンティン・タランティーノとかが好きな人とかは、「わかりやすい人的な敵視」をしてしまいそうだ…。
あと、ナチスドイツを批判するなら、そこまでドイツを追い詰めた第一次大戦のフランスの悪辣さも批判されないといけないわけで…。

第一次世界大戦ドイツ賠償金の支払い完了
http://blogs.yahoo.co.jp/bontaka1/17569128.html

なぜあの時、世界大戦へと突入したのか?今、ざっくり読んでおきたい世界経済史 第3回
http://diamond.jp/articles/-/60474

ドイツでナチスが台頭したのはフランスが第一次世界大戦で桁外れの賠償金をドイツに要求したからでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1062690180
ちょうど数日前にパリでテロが起きたばかりでもあり、いろいろと考えさせられるなあ。

「アメリカン・スナイパー」を見た

戦場の緊張感に取り憑かれてしまう、って点では、「ハート・ロッカー」や、日本の漫画の「エリア88」にも通じるかもしれない。
せっかく退役したのに、また戦場に戻ってしまう、ってあたりが。
あとは「ディア・ハンター」もあったな。日常生活に戻れなくなってしまうところが。

不毛さ、って点では「ブラックホーク・ダウン」「ジャーヘッド」「フルメタル・ジャケット」とかもあるなあ。
いわば「勇敢さって意味ないよね」系。

あと「ゼロ・ダーク・サーティ」もあるか。あれも徒労感がすごい。

もちろんクリント・イーストウッドが監督した、って点も重要なんだろうけど、あんまこの映画では個性は前に出ていない感じ。

まあイラク戦争にまつわる不毛さを描いた、って点では新しいし、グローバルホークとかの無人偵察機も出てきたりして、撮影される必要もあったんだろうけど、描こうとしているテーマはいつの時代の映画も同じかも。

イラク戦争自体の不毛さは「華氏911」「ビン・ラディンを探せ!」なんかを見てもいいし。

そういう意味では、これらの映画を見ていれば、「あまり新鮮味はない」映画に見えちゃうかもなあ。

まあ「グラン・トリノ」しかり、「アメリカの男らしさ」の象徴でもあったクリント・イーストウッドが、「アメリカの幻想にはびこる勇敢さって愚かで無意味じゃないか?」ってテーマの映画を撮ることには、すごく意味があると思う。

ただ最後はどうなんだろう。
実在するモデル、クリス・カイルの実際の追悼映像を入れることによって、賞賛するニュアンスで終わってしまっているところが。

wikipedia クリス・カイル

まあ本人も、「頭のおかしくなった退役軍人に射殺された」って点では、なんか皮肉なブーメランという感じがする。
エリア88の「ベンディッツ・レポート」って回を思い出す。

ハート・ロッカー

エリア88 新谷 かおる

ディア・ハンター

ブラックホーク・ダウン

「ジャーヘッド」
http://www.amazon.co.jp/dp/B00HNY02TA/

「フルメタル・ジャケット」
http://www.amazon.co.jp/dp/B013UO2N70/

「ゼロ・ダーク・サーティ」
http://www.amazon.co.jp/dp/B00JHTVFK4/

「華氏911」
http://www.amazon.co.jp/dp/B0001X9D68/

ビン・ラディンを探せ! ~スパーロックがテロ最前線に突撃!~
http://www.amazon.co.jp/dp/B004BR3LUE/

「グラン・トリノ」
http://www.amazon.co.jp/dp/B001V9KBSA/

「ゴーン・ガール」を見た。

はじめは「チェンジリング」な「アメリカン・ビューティー」? と思って見始めた。
瞬間的には「ショーシャンクの空に」でもあるなあ。共感できないけど。
「レボリューショナリーロード」や「八日目の蝉」でもあるんだよなあ。
きちがいなおばさんの話。

「マスメディアの勝手な報道に右往左往する」って点では「マッド・シティ」にも通じる。

まあでもエスカレートの仕方が異常すぎてリアルな話には感じられないかな…。

まあ「夫婦間ホラー」って点では島尾敏雄の「死の棘」とかも形式が近いかも?
日本ではこういう展開にはならないだろうなあ。日本は一夫一婦制度に対する意識とかも地域や世代によって違うし、何よりアメリカと違って、宗教的に確立された価値観ではないので。

結末としては
「頭おかしいでしょ」な話って点では「アメリカン・ビューティー」だし、「Mr.&Mrs. スミス」か。
「ステップフォード・ワイフ」にも似てるかもなあ。
つまり「アメリカの一夫一婦制の幻想には無理があり、それを維持しようとする狂気」なんだよねえ。
つまり、おかしいのはこの二人だけではなくて、「アメリカの倫理観もおかしいよね?」っていう結末。

チェンジリング

アメリカン・ビューティー

ショーシャンクの空に

レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで

八日目の蝉

マッド・シティ

島尾敏雄の「死の棘」
http://www.amazon.co.jp/dp/B00FW65LB0/

Mr.&Mrs. スミス
http://www.amazon.co.jp/dp/B0038OAORO/

ステップフォード・ワイフ
http://www.amazon.co.jp/dp/B00081U4IO/

「昔話法廷」がすごい -現実は全員が主人公のドラマである、ということ-

昔話法廷


が公式サイトで見られるようになっているので、見てみた。




■結論&結末を見る側に委ねている


ドラマ仕立てで始まるので、ドラマとして見ていると、この番組は、意外なタイミングで終わってしまう。
被告と原告の両方の見解や事件の概要が対話形式で説明されて、意外な事実が明るみに出て、両論併記がなされ、「さて、どうなる?」と思ったところでこの番組は終わるのだ。
ドラマにしたら「さてこれから気持ちよいすっきりとした展開が待っているんだろうな」と思うところで終わるのだ。


■今までの「先入観」をくつがえすための演出


「昔話法廷」を見ていて感じるのは、明かされてくる「双方の事情」がどちらも重く、時に「悪役」とされている方の事情のほうに共感できるくらい、というだったりする点だ。
すごくわかりやすく言うと、ちょうど「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」を見ているような感じなのだ。
「敵」として設定されていたはずのキャラクターの、のっぴきならない事情や、過去に何があったのかの経緯の説明を知るうちに、「今回起きたこと」だけを判断してすべてをわかったような気になっていいのか? と思い始めてしまう。




■「カニと修造」理論
これは、脚本家、映画監督、スクリプト・ドクターでもある三宅隆太氏の「カニと修造」理論にも通じる。


ドラマやストーリーにおける「描写による感情移入」の手法なのだけれど、詳しくはこちらの動画でも見ていただけるとわかりやすい。


宇多丸×三宅隆太:スクリプトドクターというお仕事(「カニと修造」理論)
(42分くらいから「カニと修造」理論)


続編 宇多丸×三宅隆太「スクリプトドクターとは何か?リターンズ」


文字起こしもされているのでこちらも。
映画監督・三宅隆太が語る「スクリプト・ドクターというお仕事」(3)


〜引用ここから〜
で、例えばなんですけど一つ例を言うとですね、
日本海の沖合にタラバガニの漁をしてる漁船があるとしますよね。
そこに松岡修造が乗っているとしますね。
まぁナントカ万才みたいな取材をしてると。
漁師さんたちが「ほら、とれたてのカニだよ!食べなさい!」って言って、
「ああ、美味しそうですね!じゃあ食べましょう!」って言って
脚をバサッと切ってですね、パカッと脚を割って、
プルプルの中身をギャッと食べて「ウワーッ、美味しいですね!」って
いうのを観た時にですね。
我々はカニではなくて、松岡修造さんの方に感情移入することになりますね。
そうすると、「わー美味しそう!お腹空いた!」ってなると思うんです。
ところが、ちょっとの工夫で価値観が逆転しちゃうのはですね。
その直前のシーンに、例えば海底のシーンがあってですね。
「カニ男さんのおうち」ってのがあってですね、
そこのベビーベッドにおしゃぶりをくわえた可愛いカニが寝てるとしますね。
そこにお母さんカニがですね、「ああよく寝てるわ」なんて言って、
「あなた今日はね、結婚して1年だから、今日は早く帰ってきてね」なんてことを
奥さんのカニが言ってですね、旦那さんのカニに「いってらっしゃい!」と、
「早く帰ってくるよ!いってきます!」言ってカニのお父さんが海の方に上がっていきました。
そして・・(笑)
宇多丸
まぁでもね、ファインディング・ニモ的なことですもんね。
三宅
まぁまぁそうなんですけどね。
そうすると、次に松岡さんが美味しそうにカニをブチャ!バカッっと折って、
プルプルの中身をガブッって食べたのが、
さっきは美味しそうと思ったのに「なんてことをするんだ!!」と
〜引用ここまで〜




また「カニと修造」理論が一番手っ取り早くわかるのは、このPVかもしれない。
Ken Ishii vs FLR / SPACE INVADERS 2003
ゲームの「スペースインベーダー」における敵キャラのインベーダーの立場に立って作られているこのPVは、徴兵によって「戦わされて戦死するインベーダーと、その家族の悲哀」について最も端的でノンバーバルに語っていると思う。


マリオよ、これを見ろ! お前が踏みつけてきたクリボーにも家庭があるんだぞ!(動画あり) | コタク・ジャパン


爆風スランプにも「平和な鬼が島に桃太郎一行が侵略!」みたいな歌があった記憶が…


似たような題材では「第9地区」とか、ドキュメントの「華氏911」 がそれに当たるのかな、と思う。




■現実のドラマは刑事モノのドラマのような感じではない、ということ


刑事もののドラマ「相棒」に、ときおり感じる「終盤で、杉下右京が善悪を語るキモチ悪さ」のストレスを、この「昔話法廷」は分析してくれていると思う。
「XXだからって、あなたがYYをしていいわけではありませんよ!!」と杉下右京が激昂するシーンに、「いや、そうじゃないだろ…」と違和感を感じたことがある人も少なくないと思う。
「相棒」は数あるドラマの中でもかなりクオリティは高いほうであるとは思うけれど、回によって波があり、脚本家によっては「これどうなんだ?」と思うようなものがたまにある。


そういう、「善悪を白黒はっきりつけてしまう」キモチ悪さを、この「昔話法廷」は語ってくれているように思う。




■ひょっとしたら「歴史」についても同じことが言えるのかも…?


ちょっと話が大きくなるが、人類の過去の「歴史」を語る上でも、同じようなことが言えるのかな、とも思ったりした。関係者の双方の意見や、その「何か」が起きるまでに何があったのかを検証しないと、本当の「全体像」は見えないのかも、とも思う。
誰かが大きい声で語った「ストーリー」だけだと、全体像が意図的にはしょられている可能性があり、本当のことが知らされないままであったりするするかもしれない。


そういう意味では、クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」あたりも、「アメリカ人が日本人側のストーリーを描いた」って点ではこれに通じるものがあるかもしれない。


特に、戦闘行為などというような重大な出来事があった場合、その利害関係者が生きている間は、どうしてもバイアスがかからない意見や見解を語ることが難しい。
利害関係者の、「極端」で「大きい」声が次第に小さくなり、「普通の人たち」が語り始めるあたりから、ようやく全体像が見えてくる…なんてことがけっこうある。


いくつもの見方や、利害のバイアスの少ない人からの情報を総合的に集めて、いろいろと考えを巡らせる。
そして、そこから生まれる「解釈」ですら、個人差があり続け、「どれが正しい」「これは間違ってる」とは言い切れない。
それが「歴史」の持つ、重い多層性、多様性なのだと思う。




まさに「昔話法廷」の結末が「あえて語られない」のも、それを語ろうとしているのではないか、とも思う。